同じものなのに違う表現を当てはめて印象を操作する
「契約社員の雇い止め」、「派遣社員の雇い止め」と表現すると、悪い出来事のように思えてしまう。「雇い止め=悪いこと」というイメージがあるので、雇い止めを実施する企業はヒトデナシと評価されかねない雰囲気がある。
しかし、雇い止めと表現せずに契約終了と表現したらどうか。契約終了ならば悪いイメージはない。単に終了しただけという印象です。
では、ニュースや新聞では、なぜ契約終了と表現せずに雇い止めと表現するのか。あえて雇い止めという言葉を選択せずに、契約終了という言葉を使えばいいんじゃないか。そう思うことがあります。
メディアは悪いニュースほど力を入れて報道するので、契約終了という表現では普通の内容になってしまうから、あえて雇い止めという表現を用いて悪いニュースに作り変える。こうすれば、視聴者や読者の反応も高まる。
契約期間が満了して、契約を終わらせているのだから、「契約終了」と表現するのが本来は正しい。ただ、契約をあえて終了させる理由もないのに終了させると、「雇い止め」と表現することもできる。
会社側の立場ならば契約終了と表現するし、メディアや労働者側の立場ならば雇い止めと表現する。
契約終了も雇い止めも実質は同じなのに、違う表現を使って印象を変える。この例は他にもありますね。
物は言いよう。角度によって見える景色が変わる。
「人通りが少ない住宅街で寂れている」と言われると、何か魅力に乏しい場所なのかなと思ってしまう。しかし、「閑静な住宅街なので、騒音に悩まされず住みやすい場所です」と言われれば、急に良さそうな場所に変わる。
同じものなのに、言い方を変えると印象が変わりますね。
「山と川に囲まれている不便な田舎で、買い物に行くにはクルマで30分もかかります」と言われれば、実に不便そうな感じがする。しかし、「自然と共生でき、人間らしい生き方ができる場所です」と言われれば、何だかそこに行くと癒されるんじゃないかと思える。
これも言い方次第で評価が変わる例ですね。不便さと自然は常に一緒なのですが、自然を強調すれば相手の印象を変えることができてしまう。
「お客さんが少ないお店で人気がないんですよ」と言われると、イケてない店なのかと思える。しかし、「完全予約制のお店だから、いきなり行っても入れないよ」と言われると、「おお!高級でイケてる店なんだな」と想像できる。
本当に人気があるから完全予約制にしているのかもしれないけれども、人気がないから完全予約制にしている可能性もありますよね。完全予約制という表現で人気の無さという欠点を長所に転換しています。
人は自分にとって都合の良い表現を選択する。
雇い止めという表現のほうが都合がいいのか。契約終了という表現のほうが都合がいいのか。なぜあえてそちらの表現を選択したのか。そんなことを考えると、人や組織が何を基準に行動するかが分かって面白いかもしれない。