給与を減らすという決定は、普通ならば会社側が決めることです。商売の状況が思わしくないとか、受注量が少ないのでそれに連動して給与が減るとか、このように会社側から動きが出るものです。そのため、社員側から「私の給与を減らしてくれませんか?」と言われたら、「えっ!? どういうこと?」と不思議に感じてしまうはずです。
本来ならば、社員としては、もっと給与が増えて欲しいと思うものですから、自分から給与を減らしてほしいなんて言うはずがないですよね。けれども、場合によっては、給与を減らしたほうが本人にとって有利な場合があるのです。
年金を受け取りながら働いて収入を得ると、受け取る年金が減らされてしまう。こういう制度について聞いたことはあるでしょうか。収入に応じて、年金を減額する仕組みが公的年金にはあります。
それは、「在職老齢年金制度」というもので、働きながら年金を受けると、収入に応じて年金額が調整される制度です。
https://www.nenkin.go.jp/pamphlet/kyufu.files/0000000011_0000027898.pdf
在職老齢年金の支給停止の仕組み(日本年金機構)
〜働きながら年金を受けるときの注意事項〜
在職老齢年金というと、そういう年金があるのだと誤解しがちですが、在職老齢年金という年金があるのではなくて、 在職老齢年金制度という、「年金の給付額を調整する制度」があるということです。
この在職老齢年金制度があるために、年金を受け取る年齢になると、「私の給与を減らして下さい」と要望する社員が出てくるわけです。
経営者ならば自分自身の報酬をある程度はコントロールできますけれども、従業員はそれを自由にできる立場ではありませんから、使用者が労働者の給与を減らしたとなると、後から労務トラブルに発展する可能性があり、おいそれと実行できるものではないのです。
ザックリと数字を当てはめて説明してみましょう。なお、下記の数字はあくまでイメージを示すためのものですので、実際の数字とは異なります。
まず、在職老齢年金制度による影響を受けて、働きながら年金を受け取った場合。
月収は20万円。
年金収入は25万円(本来の支給額は30万円だが、5万円減額されている)。
この場合、収入の合計は45万円です。
他方、在職老齢年金制度への対策を講じて、収入を調整しつつ働いた場合。
月収は15万円(対策のために収入を減らした)。
年金収入は30万円(満額が支給される)。
この場合も、収入の合計額は45万円です。
上の2つを比べると、働いて収入を増やせば年金が減りますし、どちらも合計収入は月45万円ですから、だったら働く時間なり収入を減らして、年金を満額受け取る方がいいじゃないかと思うわけです。
働いて収入を増やしても、年金がそれに応じて減額されるのですから、年金を満額受け取れるところまで収入を減らすのが合理的な判断です。
収入を減らすということは、会社にとっては人件費が減りますし、本人は年金の受取額が増えますから、お互いに利害は一致しています。
しかし、給与を減らすとなると、労働条件を不利益に変更したことになりますから、この点で物議を醸します。
労働契約法8条では、労働者と使用者の合意でもって、労働条件を変更できると書かれています。
第八条
労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる。
今回の場合は、労働者と使用者で合意可能な内容ですから、労働契約法8条に基づいて労働条件を変更できます。
60歳になると、そのままの労働条件ではなく、再雇用制度でもって契約内容を変更する会社もありますが、それは在職老齢年金制度への対策も含まれています。フルタイム勤務からパートタイム勤務に切り替えて、収入を減らす。週5日勤務を週3日勤務にして、年金が減らされない水準まで収入を調整する。こういう対策がなされるわけです。
ちなみに、国民年金だけ加入してきた人には在職老齢年金制度による影響はありません。国民年金は、別名「基礎年金」とも呼ばれるもので、生活の基礎となる年金ですので、収入に応じて減額されることはありません。
厚生年金に加入してきた人に在職老齢年金制度は関係してきます。今まで厚生年金の保険料を支払ってきて、60歳以降に厚生年金を受け取る人は、働きながら年金を受け取ると、年金額を調整する対象になります。
とはいえ、一定水準の収入に達しないと年金は減額されませんから、ちょっとでも収入があれば年金が減る、というわけでもありません。
https://www.nenkin.go.jp/pamphlet/kyufu.files/0000000011_0000027898.pdf
在職老齢年金の支給停止の仕組み(日本年金機構)
上記のPDFに記載されている計算例を参考にすると、
60歳以上、65歳未満の人で、
受け取る年金は、月額18万円。
毎月の収入は30万円。
この場合は合計で48万円ですが、在職老齢年金制度によって、年金が10万円減って、月額8万円になります。そのため、合計で月収は38万円に変わります。
計算方法は上記のPDFに記載されていますが、ちょっと複雑です。
もし、上記の場合に、年金を満額の18万円受け取るにはどうするか。
その場合は、毎月の収入を10万円まで下げます(先ほどに比べて1/3)。月収を10万円まで下げると、年金は減額されずに18万円、満額が支給されます。
月収30万円だと年金が10万円減らされて、総月収は38万円。一方、在職老齢年金制度への対策のために収入を10万円まで減らすと、年金は18万円で、総月収は28万円です。
トータルでの収入は、たくさん働いた方が多くなりますが、月あたり10万円の年金を失います。
在職老齢年金制度への対策を講じた場合は、収入が1/3まで減りますから、単純に考えると、働く時間も1/3まで減るはずですので、一概に不利な判断だとは言えません。
60歳以降に厚生年金を受け取る人は、収入と年金の数字を使い、あらかじめシミュレーションして、どれだけ働けばいいのかを判断するといいでしょう。
収入を減らす以外の対策としては、雇用契約を変更して、厚生年金に加入しないような働き方に変更するのもアリです。
雇用契約に基づいて、厚生年金の被保険者になり、給与と賞与を受け取っている人が在職老齢年金の対象になりますから、勤務時間を減らして厚生年金に加入しないのも1つの方法ですし、退職して退職金を受け取った後、60歳以降は自営業で仕事を請け負って稼いでいくのも在職老齢年金を回避する方法の1つです。
給与所得者でなければ在職老齢年金の対象になりませんから、60歳になったら自分で商売を始めて、収入と時間をコントロールして生きていくのも楽しいのではないでしょうか。雇用だと所定労働時間でスケジュールの自由が奪われますし、厚生年金もカットされる可能性があり、なんだか暗い人生になりそうな感じ。
会社の取締役など、簡単には退職できない方だと、60歳以降も給与所得者を続けなければいけないのでしょうけれども、そうではないなら退職して自営業で仕事を続ける選択も良いのではないかと。
2017年の時点では、パートタイマーが社会保険に加入するハードルが下がりましたが、週20時間未満の契約で働けば、厚生年金の対象外にできます。
厚生年金に加入して被保険者になっていなければ、在職老齢年金制度の対象にはなりませんから、60歳以降は厚生年金に加入しないような契約に変えるのも1つの方法です。会社によっては、再雇用制度で厚生年金の加入対象から外すところもあるでしょう。
- 国民年金のみ加入してきた人は在職老齢年金制度による影響を受けない。
- 60歳以降に、厚生年金に加入しながら働く人は在職老齢年金制度の影響を受ける。
- 給与を減らすことで年金の減額を回避できる。
- 契約形態を変更して厚生年金に加入しなければ、在職老齢年金制度に影響を受けない。
これが今回のポイントです。