book482(将来を保証するという約束)





■確定した未来はないはず。



「絶対大丈夫だと言われたのに、大丈夫ではなかった」、「確実に安全だと思ったのに、そうではなかった」、「保証されるはずだったのに、そうではなかった」、「将来の給付が保証されている企業年金だったのに、減額することになった」、このような場面は、頻繁ではないがそれなりに起こる。

我々は、「保証」という言葉に弱い。例えば、家電製品を買うとき、保証なしで買うよりも、1年の保証が付けられている方が嬉しいだろう。さらには、3年保証や5年保証と保証する期間が長期化するとさらに嬉しいと感じる。他にも、無料だと1年保証だが、追加で費用を負担すれば2年まで延長できるとのオファーを出すと、有料でも保証を得ようとする。

鍋や包丁の販売でも保証という販促手段が用いられることがある。ステンレスや銅鍋の一式セット(色々な大きさの鍋をバンドルにしている)を購入すると、製品の永久保証が付いているとか、上等な包丁の一式セット(普段使う包丁だけでなく、果物ナイフや柳刃包丁がバンドルになっている)を購入すると、製品の永久保証を付ける店がある。確かに、鍋や包丁は丁寧にメンテナンスすれば長持ちする。しかし、永久に保証することまで必要なのだろうか。

企業年金でも、確定拠出型のタイプより確定給付型のタイプが好まれるのは、保証が付けられているからだろう。


上記のように、将来時点での保証には人を引きつける魅力がある。

有価証券や不動産よりも、銀行預金が資産として安全だと思われているのも保証が理由だと思う。


ただ、将来時点を保証するには、将来の時点での保証を履行できることが前提になる。もし、保証主体(政府、金融機関、企業など)が保証した内容を履行できないならば、当初に期待した効果は得られない。








■不確定な保障を確実な保障と思わせる。



将来の時点での保証を履行できることを暗黙の前提にして保証は提供されている。しかし、その前提は確実に成立するのだろうか。

一般に、リターンを限り無くゼロにすれば、保証は実行されやすい。金利の低い金融資産は金利の高い金融資産よりも保証されやすいだろうし、家電製品の保証期間も長いよりは短いほうが保証が実行される可能性が高い。1年後ならば企業は存続していても、3年後にはなくなっているかもしれないからだ。もちろん、保証主体である企業が無くなっても、営業を引き継いだ企業が保証主体になることもある。


絶対に事故は起こらない、絶対に元本は保証される、絶対に年金は保証される、絶対にシステムトラブルは起こらない、このように「絶対」という言葉を付けて説明をする場面もあると思う。しかし、安易に「絶対~」と言葉にする場面ほど、思ったほど絶対ではなかったりするもの。

小学生ぐらいの年齢だと、絶対おいしいとか、絶対イヤという言葉を多用するかもしれないが、それなりの大人が絶対という言葉を使っていると、子どもっぽいと感じる。

「絶対大丈夫って言ったじゃないですかぁ!」とか、「絶対安全って言ったじゃないですかぁ!」と言っている人をテレビで見ると、「ああ、まだ子供だねぇ、、」と思う。

もちろん、人は、何かをするときには結果を保証して欲しいものだし、危険を伴うときには大丈夫だと言って欲しいものだ。しかし、「絶対」ということは、100%ということであって、現実にはあり得ないと言ってしまっても差し支えない。

絶対に安全な企業年金はないし、絶対に安全な金融資産もない。預貯金ですら不正に引き出されてしまうかもしれないし、ペイオフ処理されてしまうかもしれない。


不確定なものを確定しているかのように思わせる点に保証の核心があるように思う。

将来の時点で保証できるかどうか分からないのに、確実に保証できますと言ってしまうところが保証の魅力なのだろう。

人は、できそうにないことをできると言う人を意識してしまうもの。占い師の占いを信じる。予言者の予言を信じる。これらも保証と同じだ。確実な将来があるかのように思わせる点で共通している。


安全な道を選択したいならば、自分の側である程度の危険を受け止めることではないか。

例えるならば、ちょっと塩気があったほうが甘みが増すのと同じ感覚だ。

山口正博 社会保険労務士事務所
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